実家に帰省中に突然、天国へと旅立った祖母。
いつかこういう日が来ることはわかっていたけど、まさかそれが今年の11月だとは誰も予測していませんでした。
夕方、介護医療院から亡くなったと連絡があってすぐは悲しむ暇もなく…
私は祖母が帰ってくるまでに部屋の片付けや掃除・準備を大急ぎで行い、その日の夜にお迎えしました。
暑さが落ち着いたら一度家に連れてきて、散髪したり卓球したりしようという計画も叶わぬまま、無言の帰宅。
幸い、依頼した葬儀社の方々がテキパキと準備を整えてくれたおかげで、よくわからないこともすべて順調に進み、、
祖母は声をかければ起きるんじゃないかというくらい、綺麗な安らかな顔で眠っていました。
ただ、8月下旬ごろに介護医療院で寝たきり状態になってから覚悟はしていたとはいえ、こんなにも早く逝ってしまったことに身内も動揺。
その日は遅くまで、父と叔父たちが慌ただしく葬儀の打ち合わせをしていました。
私も後から悲しみが込み上げてきて、その日の夜はほとんど眠れませんでしたが、葬儀が終わるまではバタバタするというもの。
父の世代は付き合いの関係上、家族葬で簡単に済ませるというわけにもいかず…
田舎なので町内に訃報の知らせは行きますし、近所の人に受付のお手伝いも頼まなければなりません。
まあ、そういう段取りについて私たち孫はノータッチでしたが、父たちは終始しゃべりっぱなしでした。
しかしさすがは葬儀社、次々と専門のスタッフが家まで訪れいろいろなことを私も見させてもらいました。
身内の葬儀を経験するのは、約30年前に亡くなった祖父のとき以来。
はっきりとは覚えてないけど、当時とはやり方も全然違っていたように思います。
たとえば湯灌。
湯灌とは、棺に納める前に体を洗い清めること。
最初は全身を拭くだけかと思っていたら、大きな浴槽を部屋まで運び入れ、そこに寝かせてシャワーで洗うんですね。
しかも顔はまるでエステのようにクリームをつけて丁寧にマッサージ。
業者や地域・宗派にもよるんでしょうが、初めて見る光景でした。
次は着替えとメイク・爪切り。
修行僧のような白装束に着替えたら再びメイクをし、紙に描かれた六文銭を持たせました。
この六文銭は、三途の川の渡し賃なのだとか。
ちなみに切った爪はこの世に未練を残さないよう、捨てずに布に包んで一緒に持たせるとのこと。
とにかく今回は、私にとって初めて知ることばかりでした。
そして、あっという間に葬儀の日を迎え…
祖母はお骨となって戻ってきました。
この数日の間に一気にいろんなことがあって大変ではありましたが…
祖母も綺麗にしてもらい、多くの人が来てくれたことを喜んでいるでしょう。
ただ、無事に通夜・葬儀を終えても遺族にはまだまだやることがあります。
その辺は割愛しますが、両親はゆっくりする間もなく後処理に追われていました。
特に父は葬儀が終わってもなかなか気ぜわしさが抜けず、私も見ていてハラハラ。
結局、ある程度の落ち着きを取り戻すまで実家に残りました。
しかし、祖母が亡くなったのが猛暑の夏でも雪の降る真冬でもなくてよかったなあと思います。
急なことでバタついたとはいえ、私もたまたま帰省していたおかげで最期もずっとそばに居れたわけだし…
もしかしたら祖母がちょうどいい時期を選んでくれたのかもしれません。
祖母のいなくなった部屋は寂しいですが、また今度帰省した時にゆっくり片付けることにします。
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