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体験

ついに消えてしまった近所の大型書店



以前、テレビで街の書店がどんどんなくなっているという情報番組をみました。

そういえば、ウチの近所にいくつかあった書店もこの数年でバタバタと閉店。

実家に帰省した時も、昔からあった大きな書店が空き店舗になっていました。


まあ、今はネットで買ったり電子書籍に移行したりで需要が減っているのは間違いないけど…

近所にある小規模なショッピングセンターには地域で一番大きな書店があり、まずここは大丈夫だろうと思っていました。


といっても私は立ち読みがほとんどでしたが、買い物ついでに利用できるとあってとても便利だったんです。

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しかし、その書店も時代の流れには逆らえなかったのか、昨年ついに閉店してしまいました


書店は私にとってはちょっとしたオアシス。

お店側には迷惑かもしれないけれど、唯一ゆっくり居れる書店だったのでショックでした。


これでまた楽しみが一つなくなってしまったというわけです。

立ち読み客も多いけど、それなりに繁盛していたので完全閉店は残念ですね


ちなみにそのショッピングセンターは、数年おきに様々な店舗が入れ替わります。

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今年も年明けからなじみのお店が次々と閉店。

今はあちこちパーテーションで隠されていて寂しい限り。


その影響か来店者も減り、食品スーパーもいつもの賑わいがありません。

ま、これから新しいお店も入るんですが、やはり書店はできなさそうです


しかし、こんなに閑散としたショッピングセンターはコロナでスーパー以外の店が営業自粛していた時以来。

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中には全然お客が入ってなかったお店もあったけど、、

たぶん、契約更新のタイミングで一気に退店してしまったんでしょう。


ショッピングセンター自体がもう時代に合わなくなったのかもしれませんが…

そこに長らく当たり前にあったお店がなくなると不便ですね。


でもショッピングセンターがなくなるわけじゃありません。

これから入るお店に期待しつつ、リニューアルオープンを待ちたいと思います。






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銀行口座に制限がかけられていた話



以前、SBI新生銀行をSBI証券と連携(SBI新生コネクト)したと書きました。

その翌々月、無事に最上位のダイヤモンドステージにステップアップ!

ダイヤモンドステージになると当然、金利や手数料の優遇サービスも格段にアップします。


そして先月、別の銀行でしていた定期預金が満期を迎えたのを機に、SBI新生銀行の定期預金に入れ替えることにしました。

なぜなら、3カ月ものの定期預金の金利が期間限定で上がっていたからです


ちなみに3/5から第2弾もやっています。

3ヵ月もの円定期預金
※この金利は募集総額に達した時点で終了してしまうのでご注意!


で、さっそく新生で定期預金をしようとしたんですが、なぜかエラーになってしまいました

他行からの入金はできたのになぜ?と思い確認したところ…

どうも2年以上口座の利用がないと、自動的に口座制限がかかるらしい。


新生銀行の口座は昔、姉から薦められて作ったもの。

2週間満期預金など便利に利用していたんですが、次第に金利も下がって利用するメリットがあまり感じられなくなって放置していたんです

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ともかく、口座制限を解除しないと何もできない

調べると、チャットで伝えればすぐに解除してもらえるようですが、あいにく受付時間を過ぎていたのでWEB相談フォームで依頼。


そして翌日、解除完了のメールが来て、1日遅れで定期預金に預けることができました。

制限がかかった時は一瞬ヒヤッとしたけど、やはり銀行口座って放っておくと良くないんですね


ところでダイヤモンドステージになると円普通預金の金利は年0.10%と、通常金利の100倍になるんですが…

ダイヤモンドステージ円普通預金金利

なんと3/29からは0.15%に上がるとのこと!

銀行に預けてもほとんど利息が付かない今の時代に、利上げは嬉しいですね


まあ、今後もサービス内容が変わる可能性はあるとはいえ、SBI新生コネクトしておいて正解でした。

SBI証券も国内株式売買手数料が無料化しましたし…

今まで放置状態だったSBI新生銀行もバンバン利用していこうと思います。





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真冬の断捨離と祖母の部屋



年末年始に帰省した時、少しだけ実家の断捨離をしました。

極寒の冬はやるつもりはなかったんですが…

元日を襲った地震で改めて危険なものだけでも片付けようと思ったわけです。


とりあえず今回着手したのは、ただの荷物置き場と化していた昭和の2段ベッド。

構造的にも不安な2段ベッドは以前から解体しようと思いながらも、いざ目の前にすると気が重くなって後回しになっていたんですよね


しかし今回の地震でようやく決心。

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まずは上段の柵と底板の取り外しからスタート。

面倒そうなベッドの解体も、やり始めると意外と簡単で…

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ドライバー1本でひとりでも30分かからず解体完了しました。

私たちが子供時代に使っていた思い出のベッド、もったいない気もするけど安全と耐久性を考えると仕方ない


そして無人になった祖母の部屋も見に行きました。

片付けは昨年11月に祖母が亡くなる以前に半分以上は済ませましたが…

古いタンスや置物などまだまだ残っています。


祖母は昔の人で物が捨てられない性格、通常ならとっくにゴミとして処分しているはずのものが、何十年も家の中で眠っていました。

おそらく衣類は自分では一度も捨てたことがなかっただろうと思います。

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小さい頃いつも祖母と一緒にいた私は、祖母が物を捨てずに家中のありとあらゆる場所にしまう光景を見ていました。

そのため、ある程度どこに何があるかは把握していましたが、母や兄などは祖母の捨てられない性格に辟易していた模様。


でも、私はおばあちゃん子。

祖母の後始末はいずれ私がしようと思っていました。


後始末は大変だし無駄な作業かもしれないけど、私がそう思うのはそれ以上に祖母にはいろいろお世話になったからです。

母が自営業で多忙だったため、幼い頃は祖母がお母さんだと思っていたくらい。

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そんな私は18歳で実家を離れ、帰省した時はいつも広い祖母の部屋で寝泊まりしていました。

後のリフォームで元の私の部屋がなくなったのもありますが…

祖父が早くに亡くなったため、祖母も私がいることを喜んでくれました。


私が帰省した日は必ず布団が敷いてあり、いま思えば最後に祖母の部屋で寝たのは3~4年前。

その頃は耳も遠くなり、補聴器を外した状態では会話はできなかったけど、、

寝る前も変わらずニコニコしていた祖母を思い出します。

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そして祖母が亡くなった日。

叔母から「今日、〇〇ちゃん(←私のこと)が帰ってくるんだよ」と言いながら、祖母がいつも嬉しそうに布団を干していたと話してくれました。


そういえば冬は電気毛布で事前に布団を温めておいてくれたし…

夜中トイレに行く時は私が起きないよう、音を立てずにそっと引き戸を閉めたり…

私が風邪をひかないよう、布団をかけなおしてくれたりした祖母。

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ずっと当たり前にしていたけど…

私がいい大人になってもそれは変わりませんでした。


しかし、気力や体力が衰えて祖母が2階の自分の部屋に行かなくなってから約2年。

結局、祖母は自分では何も処分しないまま旅立っていきました。


祖母も生前、自分で少し片付けようとはしてたけど、その時にはすでに体がついてこなかったのでしょう。

おばあちゃん、もう少し暖かくなったらまた片付けるから安心してね






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2024年の正月と祖母の思い出



2024年、最初の記事投稿です。

更新頻度は減るかもしれませんが、今年もマイペースにいきたいと思います。


年末年始は例年通り、実家に滞在しておりました。

昨年の11月に急に祖母が亡くなり、今年は正月飾りは無し。


そして年末に四十九日も過ぎ、年明け家族でのんびり過ごしていたところに突然の地震速報。

正月気分も一気に吹き飛びました。


ところで喪中の時はおせち料理は控えた方がいいとも言いますが…

元旦は家族だけでささやかなおせちと雑煮を食べました。

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しかし、昨年まで毎年一緒におせちを囲んでいた祖母がいないのは寂しい。。

それは、元旦にはいつもおせちを並べて祖母の写真を撮っていたからです。


ちなみに昨年の元旦は、2022年の年末から自宅で寝たきりになりかけていた祖母を普段着に着替えさせ、、

なんとか日常を取り戻してもらおうと家族総出でサポートし、写真も撮りました。

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その時、「それならもう少し頑張ろうかね」と言っていた祖母。

それから奇跡的にデイケアサービス通いを再開できるまでに回復したんです。


とはいえ以前に比べ衰えが進んだのは確かで…

自宅での懸命の介護の末、昨年6月ついに近くの介護医療院へ入り元気だったのは最初の2カ月ほど。


状況は以前書いたので割愛しますが…

亡くなる18日前の誕生日には、小さな花束をもって面会に行った両親にうっすらと目を開けて「ありがとう」と言ったのだそう。

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もう目を開けることも会話もできなくなっていたのに、奇跡の出来事でした。

身体はとても丈夫だった祖母だけど、本当は昨年の正月に限界が来ていたのに残り約10カ月間、まさに気力で生きてくれたのかもしれません。


介護医療院に入った後、私も元気な時に面会したかったのに…

昨年の夏に帰省して会いに行こうとしたら、施設内でコロナ感染者が出てしばらく面会禁止。

祖母はコロナには感染していませんでしたがその間に一気に弱り、ようやく会えた時には寝たきり状態になっていたのが悔やまれます


ちなみに祖母が元気な頃は、毎年おせち料理を手作りしてくれていました。

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おせちだけでなく、仕事で多忙な母に代わって私たちにいつも食事を作ってくれたのも祖母。

とにかく、みんなの「おかあちゃん」って感じでした。

昔は当たり前のようにしていたけど、本当に感謝でいっぱいです


もう元旦に写真を撮ることもできなくなりましたが…

これからは毎年祖母のことを思い出しながら、おせちをいただこうと思います。






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何とか間に合った喪中はがき



2023年もあと少し、時がたつのは本当に早いですね。

実家ネタが続きますが、年末に帰省するといつも待ちうけてるのが年賀状の印刷。


以前は両親が自分たちで何とかやっていたんですが、歳を重ねるごとに面倒くさくなってきたらしく…

ここ数年は私が代わりに印刷とチェックをしていました。

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しかし2024年は喪中のため、遅くとも12月初旬までには喪中はがきを出さないといけません。

祖母の他界は11月。

様々な手続きに追われる中、やっと喪中はがきを郵便局で頼んだらしいのですが、一週間はかかるとのことで結構ギリギリ


私は帰れないので宛名印刷は自分たちでやってと言ったものの、やり方をすっかり忘れてしまったらしく、、

買い替えたプリンターも冊子のマニュアルがないのでお手上げとのこと

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というわけで、今年から地元に転勤になった兄に頼んでもらうことにしました。


ただ、兄は車で1時間かからない所に住んでるとはいえ仕事で結構疲れるようで…

はじめは嫌がっていたみたいですが、そう言いながらも来てくれたそうです。


おかげで12月初旬までに無事、喪中はがきを発送。

まあ、兄も将来的なことを考えて地元転勤を希望したんだから、それくらいは協力してくれないとね


ところで昨年から徐々に年賀状じまいを始めた両親。

以前に比べたら枚数もだいぶ減りましたが…

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同年代の人が亡くなって喪中はがきが来たりすると結構ショックなようです。


綾小路き〇まろの漫談じゃないけど、毎朝チェックするのは新聞のお悔やみ欄。

ちょうど祖母が亡くなる前後にも、続けて訃報が届いたのだとか


大正生まれの祖母が長生きしただけで、両親も年齢的には高齢者。

ちょっとメンタルが心配ですが、私もなるべく両親を手助けしたいと思います。






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